慶長十三年(1608年)馬場楠堰を築いた清正公は、井手(農業用の用水路)を掘りました。
もともと白川は多くのヨナ(阿蘇山の灰土)を含んでおり、ヨナがつもって水路がつまることがありました。
この対策として、岩壁の下部に水流穴があり渦巻いた漕の水が井手底の穴より、勢いよく次の漕へ噴流し土砂を巻き上げ、次々と下流へ押し流してゆく仕組みとしました。これにより井手底には土砂の堆積がなく400年経った現在でも井手底の掃除は行う必要がありません。
<場所:熊本県菊陽町馬場楠 白川>
鼻ぐり井手