熊本では、親しみをもって「せいしょこさん」と呼ばれる加藤清正公。
清正公は"土木の神様"とも呼ばれ、河川の治水・利水事業に類まれな力を発揮し、熊本の国づくりの礎を築きました。
清正公の偉業は、今も熊本の人々の生活の中に息づき、恩恵を与え続けています。
また、「築城の名手」といわれ、熊本城や名古屋城といった数々の名城の築城に携わったことで知られています。
清正公さんの土木資産を紹介します。
写真またはボタンをクリックしてください。解説のページにとびます。
清正公は名古屋城の石垣を、三河湾の離島篠島からも切り出したといわれています。
篠島には、「清正の枕石」といわれる巨石が遺っています。これは岩が大きく、清正公が持ち出せなかったといわれるものです。
2020年12月 中村文化小劇場で上映した動画です。
作成には篠島の郷土史家 石橋伊鶴さんにご協力いただきました。
熊本城下を流れる白川は「暴れ川」と言われ、熊本城下は何度も大洪水に襲われていました。
清正公は上流から河口まで川の状態をつぶさに見てまわり、蛇行した川の付け替えやショートカットなどの様々な工事に取りかかり、洪水被害の軽減を図りました。また、堰を築き、井手を掘るなどあらゆる工夫をして田畑を豊かにしています。
さらに、大津街道など道づくりにも力を注ぎ、今の熊本のいしずえを作りました。
1610年、清正公は名古屋城築城のために将軍徳川家康に呼ばれ、最も重要な天守台の石垣の建築を担当しました。
本丸東門桝形石垣中の「清正石」の伝承、大天守石垣の東北隅北面に残る「加藤肥後守内小代下総」の刻印、二の丸の「清正公石曳きの像」などが有名です。
すぐれた石積み技術は、後に熊本の治水にも活かされています。
清正公さんは、川を治め、農地を開拓するためにいろいろな調査をして、計画を立て、設計図を描いて、工事をしたのだと思います。
きっと配下には土木プロジェクトチームもあったのでしょう。
現代では、土木事業の調査・計画・設計の役割は建設コンサルタントが担っています。
土木チームは、3年間のイベントにおいて、清正公さんの土木遺産の紹介、熊本地震の被災と復興の取り組みなどを紹介する取り組みをしてきました。
・パネルの作成
・展示ブースでの説明
・イベントでの土木パートの企画、運営
・熊本と津島の交流イベントの企画、運営
森山恒夫 「土木史 加藤清正の土木と治水」,月間建設,1991
全国水土里ネット企画研究部 「疎水名鑑」
熊本市HP
国土交通省九州地方整備局熊本河川国道事務所HP「白川の歴史」
国土交通省九州地方整備局立野ダム工事事務所HP「白川情報あれこれ」
国土交通省九州地方整備局八代河川国道事務所HP
濱邉竜一・村岡薫 「加藤清正由来の八の字堰の形状の復元による生物多様性を目指して」
濱邉竜一・村岡薫 「球磨川下流域における八の字堰の形状復元と瀬の再生に向けた取り組みについて」
南知多町郷土研究会 郷土史研究誌「みなみ」 No.88,100,101,106